厚別区について

厚別区は札幌市の東部に位置し、面積は24.38平方キロメートル、周囲は約28キロメートルで、

札幌市内で最も小さな区です。

区の地形は、JR函館本線を境に平野部(標高約7メートル)と丘陵部(標高約40メートル)に分かれます。丘陵部は、野津幌川を境に北側が「野幌丘陵」、南側が「厚別台地」と呼ばれています。

さらに、厚別川、三里川、野津幌川、小野津幌川の4本の川が区内を流れ、丘陵地には緩やかな起伏を作っています。

気候については、札幌の中心部に比べて季節風が強く、降雨・降雪が多いとされています。実際、除雪車の出動回数も白石区より年間2、3回多いと言われています。

 

厚別区の由来

厚別区の名前の由来には、アイヌ語が関係しています。一説では「ハシ・ペッ(カンボクの中を流れる川)」、また別の説では「アッ・ペッ(オヒョウダモがある川、魚が豊富な川)」から来ていると言われています。「厚別」という名前が正式に使われ始めたのは、明治27年に開設された現在のJR厚別駅の駅名からです。

また、「上野幌」や「下野幌」の「野幌」は、アイヌ語の「ヌプ・オル・オ・ペッ(野の中の川)」に由来し、野津幌川の上流が「上野幌」、下流が「下野幌」と名付けられました。さらに、小さい川が「小野津幌川」と呼ばれ、その周辺が「小野幌」と呼ばれるようになりました。

 

~厚別区の歴史~

厚別区はかつて白石村と呼ばれており、農業を中心とした生活が営まれてきました。

当社が根付いている大谷地も豊かな水田地域として栄えており、

地域の人々は自然環境を生かした暮らしを続けていました。

 

時代が進み、戦争期から戦後にかけては食糧不足や戦争での人手不足などで

厳しい生活環境に置かれる時期もありましたが厚別の方々は農業を通じて生活を支えていきました。

戦争が終わると、白石村は札幌市と合併し、道路などが整備され発展していきました。

 

戦後、30万人程度だった札幌の人口は

産業の回復やベビーブームにより急増し、住宅需要も急速に高まりました。

そこで札幌市は、住宅不足の解決策として人がたくさん住める団地を厚別に作ることに決めました。

団地の候補となったのは現在の「ひばりが丘」。 そこにはかつて、工場や農場などがありました。

1966年におよそ5000人が住めるように、ひばりが丘団地が完成しました。

 

その後1968年に青葉団地、1980年にもみじ台団地を造りました。

ひばりが丘団地が出来たあとは人口が1万人を超え、

青葉団地が出来た後には2万5000人になりました。

更にもみじ台団地が出来た後は6万5000人以上にもなり人口が増えていきました。

このように厚別はのどかな農村地帯から、ひばりが丘団地の造成をきっかけに

大規模な住宅地帯に変わっていきました。

 

そして1972年に白石区が誕生、厚別は白市区の一部としてスタートしました。

新札幌駅の完成に伴い付近の再開発も進み、住む人も増えていったため

1989年に白石区から分区し、厚別区が誕生しました。

 

 

弊社はそんな厚別区で不動産業を営み44年になります。

これからも厚別の地で皆様の生活・お住いのサポートができるように精進してまいります。

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